ダラダラと活発たれ!!

メタルとか映画とか音楽とかいろいろ

色んなことを考えてみる

子供の頃はよく考え事をしていた。小学校の帰り道、下を向いて考え事をしていたらいつの間にか家の前だったなんてことがよくあった。頭の中で連想ゲームが連鎖反応的に起こり、目に見える物や聞こえてくる音がその反応の触媒となり、やがて中間生産物で頭の中がしっちゃかめっちゃかになるのが好きだった。

両親と話をしていて、二人の発言から連想したことを僕が話題にすると、この子は突飛なことを言い出すと言って二人は笑った。ぼんやりしていると頭が傾いてしまうという癖のある僕に、「脳みそがいっぱい詰まっている証拠だ」と親戚にお世辞を言われると、恥ずかしいようなよく分からない気持ちになった。

絵を書くのも好きだった。頭で連想したことを、ペンで紙に落とし込んでいく。連想ゲームが進むにつれ、紙の上は奇怪なアイデアでいっぱいになった。街を見る時、人を見る時。どうしたらそれを絵に出来るか考えていた。踏切、電車、信号機、鉄のフェンス、誰も使わないポスト、先生の髪の毛。凝視すればするほどその構造は異形のものに見え、それが存在していることが奇跡のように思えた。世界と関わることは容易で、ただ眺めているだけで十分だった。

 

今、昔通った道をもう一度歩く。かつてのように観想を巡らせようとしても、うまくいかない。思考の道筋は安全な所だけを通ろうとしてしまう。きっと、大人になって覚えた生きていくための知識が、危険な道を塞いでくれているんだろう。『大丈夫、先へ行ってしまえ。もっと速く頭を回転させろ。考えなきゃいけないことは、あの頃より増えたはずなんだ。』言い聞かせてみても、効果はない。

 

子供の頃は自由だった、なんて言うつもりはない。小学校は死ぬほど窮屈で息苦しくて、毎日が闘争だった。わからない事ばかりで怖かったし、その恐怖や悩みを説明できる言葉を知らないことがなにより嫌だった。あの頃に比べ知識は増え、教養とやらも少しは身に付いたつもりだ。そのはずなのに、覚えたことは諦めることと目をそらすことだけだった。

仕方が無いことだ。悩ましいクソガキだった僕が、心の平穏を手に入れる為に見つけた、たった一つの方法なんだ。あのころの僕にそう言い聞かせても、納得はしてくれないだろう。

ただ眺めているだけでは世界と関われなくなっていた。人生に積極的になることは、嫌なことから目を背けることと逆説的に連結していた。でももう少し先に進めば、観想的生活を送りながら、本当の意味での心の平穏を手に入れることが出来るかもしれない。

だから、頭を回転させなくちゃ。学ばなきゃいけないことも、考えなくちゃいけないことも、頭じゃ抱えきれないくらいあるんだから。